6月30日

若い層への社会のしくみや歴史の提示と、選挙参加しやすい方法の構築がされたら、どんな世論になるのだろうか。

各国にいる支配層は、歴史的な因果関係をふまえている。軍事・外交上のブレーンストーミングのための仮想敵国は、すべての国をそうだとみなされるべきだが、歴史的な、力の向いてきた方向をふまえたい考え方にたった仮想敵国の配置は収斂してしまうのか。

日本の組織票でない票が、インターネット投票などで投票率があがってしまうのは、与党と官僚などにとってリスクか?

仮にブレーンストーミングとして、インターネット投票などがされ、投票率が少し上がったとして、若い層はどんな政策を選ぶか?

中年より上だが、団塊の世代よりは若い、特に男性層によくある、と主観的に感じてしまう価値観、アメリカ文化が好きで、アジアがきらいだという価値観に、若い層がどのくらいながれるか?積極的に投票する人は、元気があるので、経済成長などもういい、ワー クシ ェア リ ングで生活重視だ、などという意見は、言わないものか?もし今までは、歴史的な因果関係に興味がなかったからといって、積極的に歴史的な因果関係観を破壊してまで戦略的に行動する、という政策に投票するかどうかなどわからないか?

歴史的な因果関係を尊重したいが、状況が変化しつつある、というのは、多くの年代層にとって、あまり認めたくない問題設定なのかもしれないから、若い層と高齢な層の人に意見を聞きたいものだ。

若い層の人には、歴史的な因果関係から、よくもわるくも乖離した意見があり、高齢な層の人には、今あたりまえのようになっているしくみや制度がなされる前の現実を知っているので時間軸上の体験的な大局観をもとにした意見があると思う。

2011年11_30
「月 間日 本 」誌 に森 田実 氏の記 事があった。
第 一 次安 保条 約は、吉田 氏が内閣総 理大 臣という肩 書き なしで、目立 たな いと ころで、一 人で調 印し、議 論なく講話 条約 と共に 、組 み物で、批 准され たそうだ。
六 〇年安 保締 結により国 際法 上の瑕 疵は治 癒し たのだ ろうか。“占 領下に おいて占領 当局が一 方的に強 要した条 約は、講 和条約発 効によ って独 立した場 合には消滅 する”から 占領 下に締 結した条 約は無 効という論 点は、松 村勅氏も同 旨を 述 べ られて いたと思 う。
苫 米 地氏が挙げ ていた、サン フランシ スコ講話 条約は外 務 省によっ て誤 訳 が国 内向けに発表 されたが、実 は外交権は認め られていない、とか国 際法的 にはまだ大日 本帝 国のままである、という話も 思いだされる。ち なみ に、日 本国憲 法は、形 式上、旧 憲 法の改 正手 続きを踏んで成 立した そう である。
す ると、ポ ツダ ム宣 言は、完 全には履 行されてお らず、サ ンフランシ スコ講 話条 約は、国 内向け発 表とは違 う内 容が、国 民に知 らされず に締 結さ れ、その 後、外 交権はない のに事 実上の外 交 活動は行 われ、国際 法 違反の第一 次 安 保条約 は、改 定や宣 言 と いう 形で現 在まで 続き、 密 やかなる 国 際 法上の観 点から は、いま だ大 日 本 帝 国であ る?
以下、記事を引用。


改めて日本の対米従属が固まった歴史を振り返っておく必要がある。私は、対米従属の起点は日米安保条約にあると考えている。

日米安保条約は、戦後史におけるわが国の最大の汚点と言っていい。一九五一年九月八日、わが国はサンフランシスコで連合国側と講和条約に調印したが、同日、米国政府と日米安保条約(第一次安保)にも調印した。講話条約がオペラハウスにおいて全権代表団によって調印されたのに対して、安保条約は下士官用クラブハウスの一室で、吉田茂首相ただ一人が調印した。しかも、吉田は内閣総理大臣という肩書きなしで、安保条約に調印した。宮沢喜一氏の証言によれば、吉田は「君たちは来るな。自分だけでいく」と語った。日米安保調印が大きな汚点になることを知っていたからだ。

そして、対日講和と安保の二つの条約を「サンフランシスコ二条約」という形でセットにして批准手続きがとられ、全く国内で議論をすることなく、日米安保条約は批准されてしまったのである。講和条約はそれなりに国民的議論があったが、安保条約は全く議論されないまま、アメリカに強要される形で、秘密裏に調印されたのだ。

国際法では、占領下において占領当局が一方的に強要した条約は、講和条約発効によって独立した場合には消滅することになっている。ところが、日米安保条約は消滅されず、その条約の改定という形で六〇年安保条約が締結された。つまり非合法な旧安保条約は改定条約締結というトリックによって合法化されたのだ。こうして、ポツダム宣言で連合国が約束した日本の独立は反故にされた。そして日本は半永久的に米国の隷属下に置かれることになったのだ。六〇年安保に私たちが激しく反対した理由の一つが、旧安保条約の非合法性を蔽い隠そうとすることに対して反発し、怒ったことにあった。