2011年3月31日

昨年末の、時期がややずれた黄 砂のときに、なんだかむしょうに読み返したくなった「昭 和 史」、この本の江 藤 淳氏執筆による「1 はじめに」の章から引用します。


〜とはいうものの、私がいまだに不思議でならないのは、確か戦争終結前の昭和二十年(一九四五)六月ごろから、『お山の杉の子』という童謡がしきりに放送されるようになったり、敗戦直後の同年十月ごろから、『リ ン ゴの 唄』という謎のような歌が、文字通り爆発的な大ヒットを記録したという、一見当時の歴史的状況とは何の関わりもないような事実である。

 赤いリンゴに 唇よせて
 だまって見ている青い空
 リンゴはなんにも言わないけれど
 リンゴの気持ちは よく分かる
 リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ

これは、『そよかぜ』という映画の主題歌として作曲された歌であった。映画そのものは、秋 田 県 大 曲にロケして製作中に終戦を迎えたというが、私の推測では、主題歌『リンゴの唄』のほうは、敗戦後に作詞作曲されたものに相違ないように思われる。同年九月二日に、東 京 湾 上の米 戦 艦ミズーリの甲板で、降伏文書の調印が行われた直後から、連合軍司令部G-2(参謀第二部)所属の隠密の検閲機関C C D(民間検閲支隊)による、徹底的な検閲が開始されていたからである 。
信 書 や電信電話はいうまでもなく、新聞出版も、映画演劇放送も、紙芝居までが米 軍を主体とする連合軍当局が極秘裏に行ったこの検閲の例外とはなり得なかった。この事実については、別の場所に詳述してあるので繰返しを避けたいが、恐らく『リ ン ゴの 唄』の謎めいた歌詞には、検閲を回避しつつ敗戦の痛手から立ち直れずにいる国民大衆を激励しようとした、作詞家サ ト ウ ハ チ ローのひそかなメッセージが込められていたのかも知れないのである。
つまり、 「お山の杉の子」に向って、早く育って国のために役立ちなさいと呼びかけている童謡『お山の杉の 子』が、大戦終了後の世界を予見した一種の“p eace feeler”であったとするなら、『リ ン ゴの唄』は、恐らくC C Dの検閲の裏をかいた国民大衆向けの暗 号メッセージであった。そのキー ワ ー ドは、いわずと知 れた「だまって見ている」と「なんにも言わない」である。
「リ ン ゴ」は 日 の 丸 であるかも知れず、日本人の眞心であるかもしれない。だが、そ れ以上に「リ ン ゴ」こそは、敗戦にうちひしがれた日本そのものであるかも知れない。もしそうであるなら、「リンゴ可愛い や/可愛いや リ ン ゴ」という『リ ンゴ の 唄』は、その暗 号がおぼろげながらも正解されて、またたく間に全国民のあいだに伝わって行った、昭和日本 最後の愛 国歌であったのかも知れないのである。
爾来四十四年のあいだ、占 領を経てパ ックス・ルッソ・ア メ リ カーナの戦後秩序の拘束のなかに生存しつづけて来た日本の国民 は、その節目々々にさまざまな歌にその心を託して来た。そして、そのパックス・ルッソ・ア メ リ カーナの戦後秩序の内部崩壊が進行し、日本が米国に替わって世 界最大の債 権国となった 四年後に 、遂に昭和が平成と 改 元された今日、巷に は流行している歌は只の一つも存在しない。
平成という新時代は、歌の無い時代としてはじまったということを、私はここに後世史家のために書き留めて置きたいと思う。
平 成 元 年 四 月 十 七 日