2010年12月11日

建前的には、リバタリアンというか、反規制だが、要するに、若年期にコンプレックスがあるとか、過去に仕事を始めたころに劣等感があるなどして、ひたすら他人に勝ちたいのが、競争主義者の本音・通奏低音たるエゴだろう、きっと。劣等感が原動力となって、競争のコロッセウムに出て他人をうちまかしたい、というエゴをオブラートにつつんでいる所が大きい。

競争主義者が、社会のルールの内部であれば、そこであばれても、社会には受容力があり、結局、起業や廃業がされ、社会が開拓されていく、というのが、よく言われる部分で、組織的営為の建前でもあるかもしれない。

社会の受容力があれば、ギラギラした人間がいても、それが、まわりまわって社会のためになるかもしれないが、今、日本社会にこの種の受容力を感じないのは、どうしたことだろう。

社会の受容力は、例えば硬直的に社会保障のことだけを考慮するだけではなく、人々が多様な価値を認め、独立した個人が論理的に考えて行動することといった、組織的営為としては社会の新陳代謝に結びつくよう、保持されるべきだ。

ちなみに、ルールの内部か否か、という問題以外に、形式的なルール内部であるけれどもアウト・オブ・キャラクターであるのではないか、という問題も、実はある。会議英語や軍事シュミレーション等を行うと、アウト・オブ・キャラクター問題が一瞬垣間見えることがある。せめてキャッチ・アップ思考をとったとしても、では、そういう観測小結果は、いままで日本にどのように還元されているのか。

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2012-05-11
郵政、ガン保険を“TPPに配慮して?”扱わず、か。ところで、もしガンが増す予想がたてられているのなら、ガン保険は予想に採算として適合した保険商品を売ることができるのならば、もうかるのだろうか?地震が通常程度にしか予想されていなかったところ地震が続くと、地震保険は支払いにたいへんだ、とも聞くが。