2010年12月12日

競争主義者は、攻撃精神が旺盛だ。敵のみならず味方だって本当は攻撃したいくらいなのだろう。

若年期・仕事を始めたころなどに劣等感を得て、周りに敵意をいだいているが、知識や直感、経験等から、いわば、生き方の策略的妥協として、組織に入ったり、試験を受けポストを得たりして、自分側のグループを決め、その味方にとっての敵であったり競争相手を攻撃して糧を得るようになる。

攻撃精神に溢れた若者にとっては、少人数・家族だけなどでの自給自足の生活など、惹かれるものではないのだろうか。

あるグループに入っている、攻撃精神に溢れた者にとっては、その味方グループはあくまで仮の宿であり、条件がよければグループを移るし、味方グループの同盟グループとも合従連衡する。解決したい対象があれば、あっさりそれ以外の他の敵対対象と融和してしまえる。

攻撃精神に溢れた者は、だから、敵のみならず味方にも当然きびしい。その社会に、それが国民や市民のボトム・アップの経験から得られた知恵であるかないかとはまったく無関係に、ともかく結果として受容力がないのに、「残酷になれ、敵にも部下にもな。」などと嘯いて笑うのは、長い目でみてたんなる悪である。その社会に受容力があれば、「残酷になれ、敵にも部下にもな。」などという言説を発する人間であっても、長い目でみて、社会科学上のちょっとした結果善、いわば必要悪ならぬ、必要偽善ぐらいになることもあるだろう。

        • -

2012-05-12
東電の利益の9割は個人向け、その個人向け電気料金の値上げは、国がゆるせば可能で、値上げ分は補償にあてられるだろう、というのを数日前のラジオで紹介していた。なんらかの爆発が起ってしまった後に、いまさら国有化しても。いや、国有化したからこそ、個人向け値上げ分をまわして補償財源を作れる、という、それこそまさに小回りのきく、国の内側、かつ、会社などの各種団体の外側に、いいように存在する中型の“スキーム”の完成度が高まる?