2011年1月21日

スローITという項目立ては、放送を聴いた感想としては、よくわからなかった。

ツイッターが広がる前の話だが、めんどうくさがりの人で、メールと電話の通話だったら、電話はその通話時間で終わるが、メールはわざわざ打たないといけないから、電話のほうがいいという人がいた。今は、メールの受信ボックスには、仮にフィルター後だとして、反応しなければならないメールが並んでいる。そして、ツイッターは、反応してもいいよ、というつぶやきが中期的には無限にある、ということか?

誰しも身の周りのことに関する判断は、早い反応と、そして、不確定要因も多いから軽い責任とが求められるべきで、逆に、大局観を要する判断は、ターンシークエンスがシームレスなゲーム中であっても、判断対象実時間帯は、思考時間よりも殆どの場合多いのだから、たとえ長考してもよく、しかし、マクロに集積されれば不確定要因はなくならないにせよ、項目として?ならされるので、社会形式上、重い責任とが求められるべきである。

時間を一定にして比較すると、まるで応えたくない意見に反応せずに時間を作った者が大局的な意見を作る前提を入手でき、そして、責任という賭けの要素と、面と向かうことになるのだろうか。