2011年1月22日

反応が求められたそのときまでに、対象物に専門として詳しい、または、ただ好きでその事にともかく長時間ふれていて詳しいとか、または、教養として、対象周囲の連関から提示したくなる推論がすぐ浮かぶ、かどうかというのはある程度決まっており、ある対象について、何をきかれても即、反応してくる人というのは、実は、反応が求められたその時より以前に、なんらかの、広義の準備をしていたからすばやく反応できるのだと思う。

いい意見があれば明示の引用等を行えばいいのが原則だ。なんらかの準備をしていなかったら、少し時間をかけて一部引用に意見を付したり、即応して全文引用して拡散したり、すると予想されるのだが、”意見取引?”で問題となるのは、準備や引用の度合いよりも、責任だと思う。

便利さとリスクとを秤にかけながら、新しい技術は長い目で見ると、結局は殆ど常に押し通され、今までの経済活動に貢献してきた。

ゆえに、番組の話者の立論だと思われる、”国境等を越えて成立するバーチャルなIT社会は、その反応性の速さから、ものを熟考しない社会になりがち”というものは、熟考を狭義に捉えたら反対であり、熟考を責任論と捉えるならば賛成である。