2011年7月6日

モ ン ゴ ルから 離れて、 侵 入ゲ ル マ ン 民族と中 世ヨー ロ ッ パ 選 挙制 度について、匿 名の記事があった。
文 中の、遊 牧 民 族での 選 挙制 度 の 制 度趣 旨 が 本 当 かどうか知らないが、大きな国に採りこまれると、選 挙制度も、政 治上の 取引 材 料や、建 前と 化している感じがあり、それは、選 挙制 度が、遊 牧 民 族の手から 離 れ た昔から既にそうであったのか?
引用する。


ヨー ロ ッ パの場合、次期国 王の 選 出にあたって、血 統 主 義 に 基づく理 論 のほかに、選 挙による国 王擁 立の理 論がありました。これは、ヨ ーロ ッ パに侵入した ゲ ル マ ン民 族 が、自分達の君主を選 挙で選んでいたため、ヨー ロッ パにおいて国 王の選 挙制 度が定着しました。これは、遊 牧 民などの場合、無 能な君 主を選んで しまうと、一族が全 滅してしまう可 能性があるため、最も優秀 な者を君主に選ぶ必要があったからです。一方定 住民族においては、そのような事が 起こる事がないため、権 威による統 治がより有効であるため、血 統主義 の習 慣がありました。それらが同時に存在したのが、中 世ヨ ーロッ パでした。

選 挙で選ばれた国王は、可 能な限り自 分の子に王 位 を継 承させるための努力をしました。一番多かったのが、自分の統 治中 に次 期国 王選 挙を行い、自分の子の王 位を確 定しておく方法でした。フラ ン ク王 国の ピピ ン がメ ロ ビ ン グ家から王 位 を奪う時、事前にフ ラン クの有力諸侯の選 挙により王に推 挙されています。しかし、一度フ ラン ク王になると、教 皇にカロ リ ン グ家 以外からフ ラン ク王を選ぶ事 を禁止する発言を引き出しています。

そのため、カ ロリ ング家の消 滅とともに、フラン ク王 国は消 滅し、フ ラ ン ス王国、ド イ ツ王国(H R E)が 成 立するのです。

フ ラ ンス王となったカ ペー家では、国王 の就 任と同時に次期 国王選 挙を行い、自分の子を次期 国王 にする事が 慣例 化します。 カ ペ ー家では、それが何代にもわたったため、血 統に よる継 承 が選 挙による継 承 原理 を圧 倒してゆく事になります。その後選 挙無しに自 動的 に王の子が次期 国王となる事に なります。そのため、カペ ー家の 直系が絶えた時、次期国王選 出のシステムが無かったため、バロ ア家 ( フ ラン ス)とプ ランタ ジネ ット家(イ ギリ ス)との百 年戦 争へと突 入してしまいます。

一方ド イ ツにおいては、オッ ト ー大 帝の孫で直系が絶えてしまったため、選 挙により次 期国 王 が 選 ばれ、血 統による 継 承権 の 理 論 が 確立 しませんでした。そのため、近 世まで選 挙による国 王(皇 帝)選出のシ ステムが 残りました。そのため、ド イツにおける王 権が 弱く、近 世まで統 一 国家ができませんでした。

イ ギ リ ス においては、フ ラ ンスとド イ ツの中間的な状況で、国 王の下で、次期国王 を 選 ぶ選 挙が行われ る事が慣例化します。これは、ウイ リ アム征 服 王が、自らの治世 中に、息子ウ イリ ア ム を王に推挙した 事、ヘ ンリ ー 1 世の指名によりヘ ンリ2世の即 位、リ チャ ード獅 子 心王がジョンを後継 者に指名し たうえでジョ ン が選 挙に臨んだ 事などが慣 例化したものです。そのため、国 王と 議 会が対 立すると、ピュー リ タン 革 命 や名 誉 革 命のような事が起こる事になります。