11月27日

初期の相撲の技には、危険なものが入っており、あぶない競技であったのが、年を経るにつれ、試合として暴力度合いは洗練され、現在の相撲になってきたそうだ。だから、相撲は、四角形や六角形やら八角形やらの試合場での競技や、古代の円形競技場での競技よりは、知恵が入った大人度合いがある格闘技かもしれない。もっとも、相撲の土俵の形も変遷があるそうだが。

大人、というのも物は言いよう、雌や餌場の奪い合いなどから争う生物はいるだろうが、同種を殺す生物は、人間のほか蟻の一種などを併せても、あまり存在しないそうだ。相撲での凶悪な技の消滅は、大人、というよりは、祖先の知恵なのか記憶なのか、はたまた、いい意味での談合の結果なのか。

刷り込みが学校の教科書に載っていたコンラート・ローレンツ氏の学説も、多くが反駁されているようだが、人間がその能力により、歯や爪といった身体武器以外に、武器をどんどん生み出し、本能その他の精神能力に比して、はるかに強力になってしまった武器を制御しきれなくなった、という趣意の説には、なにか納得させられてしまう。

祖先などと、そんなに遡及しなくとも、世界有史上で、盛んに対外戦争をして大きな地域の中心と目される存在であった集団や民族が、五十年、百年、一千年を経ていわばドーナッツ化現象を起こして周縁に勃興を認める一方で、軍事や経済等で相対的に弱体化すると、なぜか、覇を唱えた時期から相当年数が経っているはずなのに、数世代より年数が経っているはずなのに、もう戦争などこりごりだ、という正しい感覚が、構成員に共有されていたりする。なぜか?いったん豊かさを享受したからか?ことはそんなに簡単ではないか。でも集団や民族を思いきって擬人化して、若い国や年老いた国、という形容がなされることもある。

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2012-04-27
少し前の放送大学の放送で、古代ギリシャの事実史料を扱う学者さんが対談形式で話していた。

日本の中学校等で、国会を模したような会合を教えるのではなく、人数規模からいって、直接民主制を模した会合を教えるべきではないか、それから、裁判員制度につき、忌避したがる日本人が多いが、そもそも、ギリシャでは裁判参加がなった後に民主主義の制度ができた、という順番でありその逆ではない、という趣意の指摘があったと思う。後者につき、放送で触れてはいなかったが、善悪の彼岸はとは別に、市民の重装歩兵化が先にあった話も彷彿とされる。