2010年12月2日

エコノミスト誌の日本特集は、"real clear world"という電子記事集合サイトに載ったときに読んだ。有名な雑誌で権威もあるのかもしれないが、それだけでなく、今回は内容もそんなにわるくなかったように思う。

日本では、例えば、藻谷浩介氏という方が最近出版マスコミに取り上げられている。

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2012-05-02

田中宇氏の記事で、日本の官僚機構がアメリカ軍を買収して駐留させているのではないかという観点のものがあった。
引用


朝鮮戦争で確立した東アジアの冷戦体制は、1960年代末のベトナム戦争の失敗によって崩れ出した。ベトナム戦争で財政力と国際信用を消耗した米政府は、アジアからの軍事撤退を検討した。

 米国は第二次大戦後の世界体制として当初、国連の安保理常任理事国に象徴される多極均衡体制を構築したが、それに反対する勢力(軍事産業や英国)が結託してソ連との敵対を扇動し、多極均衡をぶち壊して冷戦体制を作った。約20年後、ベトナム戦争の失敗と、反戦運動反米感情の世界的な盛り上がりを機に、米国の中枢で多極派が盛り返し、米国の中枢で多極派と冷戦派の暗闘がひどくなった。

 69年に就任したニクソン政権が、多極型世界の復活をめざす政策を行った。中国との関係正常化、ドル崩壊の是認(金ドル交換停止)などのほか、沖縄の日本への返還が行われ、在日米軍の撤収と、日本の軍事的自立が模索された。しかし、日本の権力を握る官僚機構にとって、米軍の撤収や日本の自立は、政界に権力を奪われることにつながるので、何としても避けねばならなかった。

 そこで日本政府は米政府に、米軍が日本から全撤退するのでなく、返還後も沖縄にだけ米軍が残ることにしてくれるなら、本土から沖縄に米軍が移転する費用を大幅に水増しして日本が米国に支払うとともに、その後の米軍の沖縄駐留費のかなりの部分を実質的に日本が負担してあげます、と提案した。米側は、日本が金を出してくれるなら沖縄に米軍を駐留したいということになった。

 沖縄返還が決まる直前の69年秋の日米交渉で、本土から沖縄への米軍の移転費と、5年分の駐留費の支援として、日本政府が合計2億ドルを米政府に支払うことが決まった。このうち移転に使われたのは4割ほどで、残りは日本が米軍駐留費を肩代わりする費用だった。5年の期間がすぎた後の1978年からは「思いやり予算」として米軍駐留費を日本が肩代わりする体制が恒久化した。(在日米軍基地の再編:1970年前後)

 米国中枢で冷戦派(軍産複合体)と多極派の暗闘が激しくなる中で、日本の官僚機構は冷戦派と結託し、米軍駐留費のかなりの部分を負担して米国側を買収し、日本から米軍を全撤退させようとする多極派の方針をくじき、日米同盟(対米従属)の根幹に位置する米軍の日本駐留を維持することに成功した。日本側でも政界の田中角栄首相らは、ニクソン政権の多極派に頼まれて中国との関係を政治主導で強化しかけたが、米国の冷戦派はロッキード事件に田中を巻き込んで失脚させた。日本の官僚支配は維持された。(田中金脈を攻撃する文章を書いて立花隆が英雄になった件の本質も見えてくる)

 ベトナム反戦運動で高まった日本国内の反米感情を緩和するため、反基地運動が大きな騒ぎになりやすい首都圏から米軍基地を一掃する計画が挙行され、米空軍は厚木基地から出ていき、横田基地から沖縄の嘉手納に移った。本土復帰と抱き合わせにするどさくさ紛れで、沖縄に基地の増加を認めさせた。横須賀の米海軍も佐世保に移り、米軍は首都圏の基地のほとんどから撤収することになっていたが、自衛隊が横須賀軍港を使い切れないなどという理由をつけて、日本側が米海軍第7艦隊を横須賀に戻してもらった。日本政府は、反基地運動を沈静化したい一方で、米軍が日本から撤退する方向が顕在化せぬよう、米軍が出ていった後の基地を「自衛隊と米軍の共同利用」という形にした。これは、米軍が使いたければいつでも日本本土の基地を使えるという意味でもあった。

▼支配の実態がなく被支配体制だけの日本

 日本では、米国が沖縄への米軍駐留継続や、日本に対する支配続行を強く望んだ結果、沖縄だけ米軍基地が残ることになったと考える歴史観が席巻している。しかし、第一次大戦からの米国の世界戦略の歴史を俯瞰すると、米国が日本を支配し続けたいと考えるのは無理がある。

 米国の世界戦略は「1大陸1大国」「5大国制度のもとでの国家間民主主義」的な多極型均衡体制への希求と、ユーラシア包囲網的な米英中心体制を求める力とが相克しており、1970年前後や現在(2005年ごろ以降)に起きていることは、多極型への希求(裏から世界を多極化しておいて、あとからそれを容認する)が強くなっている。米中関係改善と沖縄返還が行われた70年前後、米国は日本から米軍を全撤退するつもりだったと考えるのが自然だ。



ちなみに、記事は日本とアメリカの話だが、イギリスがスエズあたりを境として退いたのは1967年か。