2010年12月19日

鬼頭宏氏の人口に関する研究をネットで検索した。

同氏によると、日本が人口減少に直面するのは、歴史上4度目で、縄文時代後半、鎌倉時代、江戸中後期に人口減少を経験しているそうだ。なお、今回の人口減少が「高齢化」という過去になかった要素を含んでいることも指摘されている。例えば、寿命は、縄文時代は18歳、江戸前期の農村は40歳、それが今や80歳。

要約して引用。

編年記述による人口変化の説明

縄文晩期で8万人だったのが1000年の間に10倍に増えている。稲作の発達がその理由といわれるが、どんなに産んでもそんなには増やせないので、大陸からの移住者が7割から9割いるだろうと推測できるという。

食糧供給とエネルギー供給の上限は、時代によって異なり、社会固有の「人口支持力」が決まっている。人口支持力の余裕のない時こそ、その社会は気候変動の影響を強く受ける。

平安時代から鎌倉時代にかけての人口は600〜700万人で、奈良時代までの増加率に比べると停滞気味。この原因には、気候が温暖化したこともある。地域差があるが、この時代、全体としては人口は減少した。

 室町時代から江戸時代の間は、市場経済が成立し、農民の食糧生産への誘因が強まった時代で、その結果、開発が進み、人口が増えた。

 江戸時代はどうかというと、世界的な寒冷期で、日本では18世紀の江戸中期が一番気候が悪くなった時で人口も停滞した。東北では「やませ」が入り、飢饉も多かった。

17世紀にも収穫が悪かった年はある。でも、人口が増加している時期では、一時的に減ってもすぐにまた増えていく。社会のもっているポテンシャルに余裕があれば気候変動をはね返す。ところが、18世紀になるとそうはいかない。人口が社会の許容量に満杯に近づいている時ほど、環境変動の影響を強く受ける。だから、環境が悪かったから人口が減ったとは簡単には言えない。

さらに、技術の面から見ると、江戸時代はもっぱら品種改良・輸送と備蓄と情報流通のインフラ整備にはげみ、江戸時代後半は米が商品化し経験を活かして備蓄を行い、だいぶしのげるようになってきた。ところが、江戸後期は人口が増えない停滞期となる。出生率が低く抑えられていて、この頃に少子化が起きている。それが人口を回復させにくくしていたと思う。ぎりぎりの出生数にまで、なぜ人々は抑制したのか。食糧が足りなくなったのもあるとは思うが、環境資源が枯渇してきたことが出生を抑制せざるをえなくなった一つの原因だと思う。

 幕末開港時の人口は3200〜3300万人で、これは当時世界第五位の人口。一位が中国、その次がインド、ロシア、フランスと続く。アメリカやイギリスは当時人口2千万人代で、人口密度は日本が一番高かった。したがって、環境に与える負荷も大きかったといえるだろう。

 明治時代になると、いろいろな近代技術が導入されたが、新たに加わったものだけではなく、江戸時代の遺産で少なくても明治30年代まではしのいできた。20世紀になって人口が増えたが、出生率のピークは1920年頃。

死亡率が顕著に下がってくるのも大正期になってから。幕末から明治期の死因で多いのはコレラ。この時代に死亡率が下がるのは、上下水道の普及が、水を媒介とする消化器系感染症を抑える上で、最大の貢献をしたから。

第二次世界大戦前まで国内の農家戸数は一貫して550万前後で固定している。農家戸数一定で人口が増えているので、あふれ出た子はやがて都市に流れる。大正期になると米不足が起こってきて、これが政府を植民地経営に向かわせていく。

世論や政策

人口についての世論も近代になって4回変わっている。

明治期の最初は放っておけばよい。明治30年代は移民を送り出して植民地を開拓すべき。大正期始めは民衆の中ではこれ以上増やせないから産児制限すべきだということになる。昭和になって1930〜40年代にかけては、人口が増えるから植民地を開拓すべきと言っていたのが、植民地を開拓するためには日本人を送り込まなければだめだと、議論が逆転してしまう。

戦後すぐは、復員兵が帰ってきたり、植民地から引き揚げて来たりで、一転して人口過剰が意識されることになった。1959年(昭和34)、人口白書の中では、「団塊世代労働市場に出ると、失業のおそれがある」と懸念していた。ところが、いったん高度経済成長が始まってしまうと、労働力不足が起きた。石油危機を経た後、落ち着きをみせた日本経済も、80年代になるとバブル期を迎え、外国から労働者を受け入れるべきだということになる。

このように、どうしても足下で起きていることに目が行きがちで、予測されていたとしても遠い将来のことは忘れられてしまう傾向がありますね。

日本の少子化というのは、みんな1990年代に始まったと思っている。言葉が生まれるのが平成四年/1992年頃だが、実際に少子化がスタートしたのは昭和四十九年/1974年。人口を将来維持できる出生率2.08〜2.07が、それを割って、2.05になった。

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2012-05-19
数多くのブログを見ると、2012年の現在でも、ピース、という実はチャーチルの肖像写真とかでいう連合国軍ビクトリー、のサインをした人、これでもかっていうくらい、いっぱいいる。
それとはまあ別に、日本の内需は大きいんだなあという感想もなぜか湧く。