2011年1月14日

香港の、国としてのお金もうけ関連の方針について、「経済ってそういうことだったのか会議」日本経済新聞出版社2000年4月に、ごくごく簡単に、編年体で紹介されていた。さらにかいつまんで記す。香港は、第二次大戦前は、大陸への中継貿易をしていた。1949年にこれができなくなる。上海から押し寄せてきた人の多くが繊維職人だった。繊維や雑貨の加工貿易を始めて、そして機械を扱うようになる。しかし、工場を増やしていくには国土が狭いし、他のアジアの国の追い上げに遭った。そこで、英連邦の国だったので、英語・英米法を使って、一時は金融のセンターになった。1973年に香港は、今度はポンドからドルへと乗り換えた。その後、中国が経済開放し、いわば消えた中国が戻ってきた。深圳に香港の資本が大量導入され、そこに工場を建て、製品は香港から世界へと輸出した。
日本が二桁成長したのはせいぜい10年だが、香港は 25年間も、10%以上の二桁成長を続けたそうだ。この本の第6章の章末に、香港が「急に北京の顔色を窺いだすという可能性もないわけじゃないんですね。」(表現そのまま)とも記されているが。

初出2009年12月28日(月)