2011年1月16日

時間をつくって、届いたものを組んでみた。
組み立て、塗装、できたものの組み合わせ、ダイオラマや背景写真を作る、写真を撮る、などの各段階があるとすると、最終段階に近いほど、最終的な作品、ダイオラマ作品や作品写真への影響率が高い、と思う。例えば、伝統的な通常の模型では、組み立てもさることながら、塗装や仕上げのほうが、最終作品の印象を決める要素として、より、決定的ではないかとする説と同じである。
頭部、日本語でいう首の交換にあたって、切削や、ドライヤーであたためる、などの作業を、今回はやってみた。塗装作業は今回なし。サード・パーティー・メーカー?なども含め、集めた装備品の組み合わせ方をあれこれ考えるのは面白いところだ。可動部分はそのままなので、後で、全部の組み合わせ方を変えられうるのも楽しい。組み合わせを試行錯誤できる。それで固定する気はあまりないけれど、一度はやってみたかった組み合わせ、なども、ためしに背景写真の前で写真をとってみたりもできる。
ダイオラマに配置とか、写真とりとか、最終工程に近いのを川下、組み立てより以前を川上とすると、川下で実際にモノを使って組み合わせを試行錯誤し、その後、少し川をさか上って装備品を加工したり、新たな購入をしたり、ということが自由にできる。自由さの所以は、それぞれの品が、できはまちまちでも、完成品であるからだ。川上と川下を行ったり来たりしながら、各項目をゆっくり仕上げていくことができる。予算やら、同種製品の在庫のショップへの散らばりかたなど、全体を強くイメージしつつ、買い替えるモノ、作るモノをざっくばらんに決めていく。まだまだ、自作などはしていない。狭い範囲で、そこだけ作りこんでも、全体に存在する関係が見えなくなる。全体とのかねあいから、作りこんだ部分をばらす必要さえ生じるかもしれない。そうではないどころか、もっとおおらかに、この、行ったり来たりするのが、楽しみであると、道を享受することもできよう。おおげさに言えば、ホログラフの発明だっけ?を彷彿とさせるが、個は全体の構成単位だが、同時に、個は全体を表象する、つまり個に全体が顕れるわけである。

初出2010年1月3日