2011年5月31日

最終的にはいい職人を育てたり、よいある特定の職人にぴったり向いている幼少からの能力を持った人を発見したりするのは、広い“教育”分野のうちのひとつの目的である、ととりあえず仮定して考え始めてみる。

すると、大 学 受験でいう推 薦・AO・受験・内進等といった方式の多様化論を、社会での専 門職の選抜方法にあてはめる推論への抵抗も少しだけへるかもしれない。

ここで気になるのは、社会での意思決定者は、はたして職人なのか?貴族や資 本家が社会で の意思決定者となってきた淵源は社会の前近代性や前現代性に本当にあるのか?一方、現代日本の、官 僚/ 公 務員が 大企 業と癒着するコーポラティズムにおいて、癒着の幅・深度の決定者に占める公 務 員自体の割合が多いのならば、公 務員 はもはや“利権職人”の集合体か?であるとしたら、二世・三世 議 員に収 束したりする政 治家 業はいったいなんなのか?公務 員 がアメ リ カに忖度している様子をWikileakされたのは利権の割り振りは政 治家 ぬきのア ク ター達が行っているからか?そもそも職権ってなに?などではあるが、脱線暴走を揺り戻して、...社会での意志決定者以外の職業人は職人に準ずる者だというモデルの観点からは、その職人に沿う幼児期からの性向を持った人や、どうし ても、どんな訓練を積むことになったとしてもその職 になりたいという強い意志を持った人を選ぶことができる選抜方法が必要であり、多様な選抜方法が担保すべき選抜方法趣旨であるはずだ。