2011年6月1日

ある職業とせず、ある“事”と仮定しても、その事に詳しい人は、「理論や実践はよくわからないが、その事に幼少から慣れ親しんでいる人」、「その事の理論を研究している人」、「ひたすらその事を実践する人」の要素が兼在する人、なのではないか。では、兼在でなくても、グループ・ワークでもよさそうだが、日本の社会的選抜方法はこの点、リゴラスなのか、それともこれもすでに利権なのか。

こんなに識 字 率が高く、低学 年での教育普及度 合いが高く、歴史的に見ても寺 子 屋的実践の 蓄積があった日本では、既得 権 益を想像的に破壊して、専 門 職も、職人としての実績や才能を重視するとしても、う まくまわっていく気がする。

識 字率が高くない社会だからこそ、職を始めてからの実力競争やO J Tで差がつくようになっている、という観測は、実は趣旨から観ると誤りかもしれない。

でもさらにしかし、同 調圧 力が強い社会では、すべての職業人を職人とし、意思決定者はお飾りとしたほうが合 意されやすく 、皆が個性ぶる社会では、すべての職業が意思決定者に準ずるのだとしたほ うが合 意されやすいだけなのかもしれない。