2011年7月24日

ま た、あ る 外 国 支 援 軍を頼 み に したところ、そのやって来 た外 国 支 援 軍も他の 第 三 国 の 傭 兵 軍 を 数 万 人 も 内 包 す る 軍 であった 、という重 層 的な場 合もある。

「 最 新 の 事 例」として、ラ ヴ ェン ナの 戦い ( 1 5 1 2年) が 、 章 を 跨 ぎ ながら よく引 用 されて いる。この筆 者の 「 戦 術 論」 は未 読 だが、本 書 では、例え ば 二 十 六 章で兵 術 的な以 下の記 述がある。

「昔 も 今も経 験でわ か って いるのは、ス ペ イ ン軍はフ ラ ン ス騎 兵 隊に 抵 抗でき ず(p.152)」、そして、「ま だ 十 分に経 験 した わ けではない(p.152)」が、ラ ヴ ェ ン ナの戦 い における ス ペ イ ン 歩 兵 隊 対 ドイ ツ 部 隊 、 これ は ス イ ス軍 と 同 じ 戦 闘 隊 形を 採 用していたドイ ツ 部 隊、の 戦 闘 の さまを 拠 り 所 として、「ス イ ス 軍 が ス ペ イン 歩 兵 隊 に 殲 滅さ れる(p.152)」のでは ないか、と 推 論している。

な お 、十 三 章脚 注 ( 4 )によると、ラ ヴ ェ ン ナ の戦 い に おいて 、 フ ラ ンスは 、 ス ペ イ ン 軍を破っ たが 、「 傭 兵 隊 長 ガ スト ン ・ ド ・ フ ォ ワ が戦 死し 、さ ら に 二 万 の ス イ ス 傭 兵がと つ ぜ ん 敵 方に加 わ っ たため、 フ ラ ン ス 軍は敗 走 ( p.182)」したそ うである。